歴史は動いた

IMG_5472 1

こんばんは。水曜日担当の杉浦です。

皆様、この写真はどこか分かりますか?

実は私、お城が好きです。武将も好きです。歴史は苦手なのですが、戦国時代の方々は凄いなと感じることが多いです。そんなことを考えたり何か想像する時間が好きで、お城めぐりや武将隊に会いに行きます。以前は、このお城にもいたのですが…。

〇〇は、鎌倉街道と伊勢街道が合流する「交通の要」でした。 北へ向かうも南に向かうも、〇〇は重宝され、誰もが手に入れたい場所でした。

〇〇城は、1405年に尾張・遠江・越前守護の斯波義重によって築城されました。以後、守護代の織田大和守家の居城として、織田家の本城として存在してきました。

1555年に織田信長と組んだ織田信光によって、守護代の織田信友が殺害されます。これにより織田家の当主となった信長は、那古野城から清洲城へ移り住みます。

この〇〇城は、戦国史の色々な場面で登場してきます。

信長が桶狭間の戦いに出陣したのも〇〇城からです。信長と徳川家康との同盟が結ばれたのも、この城です。本能寺の変で信長がたおれ、後継ぎをめぐって〇〇会議が行われたのも、この〇〇城です。1600年の関ヶ原の戦いの時には、東軍の集結地、後方拠点として利用されました。

1609年、徳川家康によって〇〇から名古屋への遷府が指令されます。〇〇城下町は名古屋城下に移転され(〇〇越し)、〇〇城も名古屋城築城の際の資材として利用されました。(名古屋城御深井丸西北隅櫓は〇〇城天守の資材を転用して作られたため「〇〇櫓」とも呼ばれています)この名古屋城の築城により、〇〇城は廃城となりました。

現在の天守は、本来あった本丸に隣接する地域に建設された模擬天守です。

正解は、清州(清須)です。

IMG_5453 1